実家しんどい〜帰省にて思い知った呪いの数々〜

昔からわたしは、ノートの1ページ目で字を間違えるとそのノート使う気が失せる系の人間で、いざブログとか始めるとなると「キリのいい日付から始めなきゃ」とか「最低◯日に1回は書かなきゃ」とか「設定したテーマに沿って書き連ねなきゃ」とか自ら勝手に縛りゲー化してしまいなかなか始められないし始めても続きづらいのだが、2018年の目標のひとつが「アウトプットする」なのでもう縛りゲーせずにとにかく思い付いた時でいいので何でもいいから何かしら書き留める。ことにする。

 

  • 実家まじしんどい

新年が始まって3日目だが、年末あたりから「実家に帰りたくない」やら「実家しんどい」やらの発言の数々をTwitterでも各種ブログでも散見する。わたしも実家しんどい勢のひとりだ。1日の夕方に帰省し、今日の昼過ぎには出て行く予定で、2日の午後は友人と会っていたので実質2泊して36時間くらいしか実家には滞在していないのだが、しんどい。具体的にいうと、表情筋が麻痺して半笑いで貼り付いてしまう程度にはしんどい。あと、めちゃめちゃ怒りの沸点が低くなる。メンタル追い詰まってる証拠だと思われる。

 

もうほんとあるあるだが、親族が集まる会食の場の準備に駆り出す際の掛け声が「娘たち!」である。従兄弟たちは放免。別にやること自体はやぶさかではないのだ。みんなの食卓なのだから、手が空いているもので協力したらいいのだと思う。この時はわたしの母が場を仕切っていたので、実の娘の方が気兼ねなく使いやすいというのもあるだろうが、百歩譲ってその場合、名前で指名をしていただきたい。女性だから食事の準備をする、男性はしなくていいという典型的なジェンダー問題あるあるが、この掛け声一言に詰まっている。気がする。わたしはもともと男だから、女だから、という括りがあまり好きではないタイプの人間で、母もそれは知っているはずなので「別にふつーに手伝うけど、その声のかけ方は好きじゃないです」と伝えたところ、返答は「今までは好きにさせてきたけど、そろそろ躾直さなきゃいけないと思ってね!そんな考えじゃお嫁に行ったとき困るからね!」であった。笑った。

解せぬ。準備するという行為そのものはするのだ。他にも人手が足りなさそうだったら状況見て率先してやるのだ。別にそれは、男女関係ない。動けるやつが動けばいいと思う。行動してやっている結果自体は同じなのに、なぜそこに「娘(女)だから」という冠詞をつけて、それが行動原理であるとされなくてはいけないのか。また、その冠詞のため、従兄弟は放免されて当然とされるべきなのか。

 

  • しんどい理由ふたつめ:押し付けられる権威主義

これは親族あんまり関係なくて、具体的にはわたしの母がトーク中に驚異のマウンティングを実施する。「みんな知らないと思うけど、最近は〇〇で」「わたしの娘は会社で〇〇で評価されて」「友人の子どもが〇〇卒で〇〇に勤めてて」など、ありとあらゆるネタで自身の権威を振りかざす。また、親戚に対しては「稼いでるんだから自由に(お金を)使っちゃえばいいじゃん」やら「いいとこ住んでるんだから」やら「〇〇に入ったから安心だよね」やら褒め言葉を装って権威主義を押し付ける。妬みとはちょっと違うんだよな、こんなにすごい親戚の親戚であるワタシスゴイ的なセリフに聞こえる。文字にするとニュアンスが伝わりづらいので悲しいが、声の大きさや、トーンで、過剰なアピールが垣間見えるのがとにかくつらい。

単なる近況報告ならいいのだ。そこに「こんなにすごい」とか「有名な〇〇」とかいちいち付ける必要あまりない。へーそうなんだね、ふーん、で済めばいいし、聞く側の捉え方として「それはすごいね!」って感想を述べる分にはいいけど、発する側がわざわざセリフのひとつひとつにそれらを付けるのは個人的にはみっともないと感じる。

その日集まってたのは母方の親族で、みなさま比較的フラットな方々なので、何を言われても「いや、まあ」やら「そんなことないよ」等の日本人らしい謙虚な返しをされておりましたが、ひょっとしたらあんまり気にしていないのかもしれないのでそれならそれでいいのですが、娘の側としては、単純に実の親がそんな話し方をするのは見ていて恥ずかしいし、もしかしてこういう(権威主義的な)話し方を色んなところでしているかと想像をしてしまい何とも言えない気持ちになる。だって、嫌だと思う人、絶対ある一定数いるもの。

ちなみに、わたしの従兄弟姉妹のひとりである父方の長男は、ある時期から親族の集まりに一切来なくなった。葬式すら出席しないことがある。彼は、父方の親族の中ではやや学力が劣っていて、高校入学時に親族間の平均値より3ランクくらい下の高校に入り、美容学校に進学し美容師になり、今は結婚もして一家の柱として頑張っている(父方、母方ひっくるめて唯一の既婚者)。わたしから見ると、日々かなりの激務をこなし、離職の多い美容業界の中でも忙しい店舗で真面目に勤め続け、きちんと家庭も持っていてすごいなあと思う彼なのだが、わたしの母は「うちの娘は〇〇高校だから(〇〇大学だから)」「(長男の妹の)〇〇ちゃんは〇〇高校だから(〇〇大学だから)」「美容師なんて安月給でどうするの」など、会食の際、大きな声でよく話していた。これが理由じゃないかもしれないが、なんとなく、集まるのが嫌になる一因でもあったように思えてならない。

 

  • しんどい理由みっつめ:ムラ独特のご近所さん事情

わたしの実家はまあまあ田舎で、町内が3つのエリアに分割されており、各エリアの中の過半数は同じ苗字の親族が固まるという典型的な「ムラ」要素の強い地域だ。小学校では、同じクラスに同じ苗字がめちゃめちゃいるので、基本的にみんな下の名前で呼び合ってた(だから、中学校に行って、クラス名簿の被り率の低さに吃驚した)。

ムラはみんな繋がっているので、全ての情報が筒抜けだ。どこの学校に行き、どこに勤め、勤め先の評価はどうで、結婚と子どもの有無、相手先のこと、よくそんなにデータベースを溜め込めるものだと関心するほどに皆さんお詳しい。対してわたしは幼少期より全くムラ文化に馴染めず、地元の友だちは殆どいなくて、高校以降の友人関係のみで生きてきているので、そのデータベースに格納されている内容はほぼ知らない。し、知りたいとも思わない。このムラを捨てて生きていくことを早々に決意しているからだ。だというのに、「同級生の〇〇ちゃんが最近あーでこーで」系の話題を繰り広げられる。残念ながら「興味がないです」としか答えられない。なのに、ひたすら繰り広げられる。ついには「同級生の〇〇くんの妹の△△ちゃんの嫁ぎ先が云々」とかまでいくのだが、正直その△△ちゃんとわたしは面識がないし更にはその嫁ぎ先に関しては全くわたしと縁のない件であるので、そこまでくるともはやコメントは「それは他人です」になってくる。それでも、とめどなく繰り広げられる。つらい。

だからわたしはわたしの近況は、最低限しか親に話さない。全部吹聴されるからだ。わたしの知らないところで、わたしの知らない人に、わたしの話題で茶や酒を飲まれるのは御免である。

 

  • 「思い出す」帰省はしんどい

実家を離れ、一人暮らしをし、比較的都会かつ業界的にもポリコレ意識の強い人が多めの会社で日々働いているので、普段感じることの少ない数々の呪いを、こうやって実家に帰ってくるとありありと思い知る。わたしがいま、それを感じにくい場所にいるだけで、やっぱり根深く問題は蠢いているのだと。そうやって絶望するのが年始の恒例であり、だからわたしは実家に帰るのまじしんどい。以上。