推しがツイキャスをおぼえた!

タイトルのまんまである。推しが、仲の良いバンドマンとの対盤ツアーを機に、ツイキャスのスキルを身につけた(※ブログ主は人生の半分以上をお化粧おじさんに捧げている業の深いばんぎゃるです)。どちらかというとおしゃべり苦手なメンバーが多いバンドなので「自分(たち)だけじゃ絶対やらん」とか言ってたのに、この1ヶ月で4回やった。この頻度、他盤の人と比較すると、決して多くはない。でもいい。全然いいんだ。めっちゃ嬉しい。嬉しすぎて通知くると「!!!!!!!!」ってなって第一声は「モイ!」って言うのがカルチャースタンダードなのにも関わらずだいたいそのテンションのまま「!!!!!!!!」って書き込んで一人で不審者になってる。コメント欄上で。だってビックリしない?わたしバンドマンのツイキャスしか聞いたことないんだけど、奴等のキャスって何時からキャスやるよ〜とか無しにだいたいゲリラ的に開始されるからこっちとしては全く受け入れ態勢ができてないっていうかふつーに社畜ってたりごはん食べてたり日常生活送ってるところに「イエーイお化粧おじさんでーす!!!」ってドアバンして飛び込まれるのと同義なのよ個人的には。待って待ってこっちもばんぎゃるスイッチあるから!今はめっちゃOFFだから!待って!ってなって、だからだいたい第一声は「!!!!!!!!」になる。まじで初速を受け止めきれない。

 

ただ、このゲリラなのがいいんだよな〜。「◯時からキャスやるよ!」って言われるよりもゲリラのタイミングで逃さず聞けた方がレア感あるというか「やった〜」ってなる。通常だとライブとかインストアイベントとかネット放送とか雑誌インタビューとか、やる日時もしくは露出期間が決まってるところで「聞く、見る」のが殆どだから、ライブやインストだったらそこに行かない選択した時点で「聞けない、見れない」し、ネット放送とか雑誌インタビューなら別に「後でも観れる、読める」で、それらに触れるも触れないも予定調和かつ自分次第。でも、サプライズプレゼントにワーッってなるのと同じ原理で、偶然性って素直にテンションあがる!少なくともわたしは!だって街で偶然推し見かけたら、嬉しいとか嬉しくないとかはさておき、とりあえずワッ!ってなるじゃん?それと一緒で、予期してない推しとの遭遇って、ワーッてなるし、ラッキーって思うし、ファン的にやはりテンション上がり心動く素敵な出来事なのだと思うのですよ。それを日常生活で味合わせてくれるツイキャスすごい。

 

しかもブログとかTwitterと違ってツイキャスは残らない(発信側が録画配信してない場合ですが)から、遡ることもできないし、通知に気付いて逃さず聞けたことへのプレミア感が高い。音楽やバンドについての裏話が聞けたら一番嬉しいけど、そもそも推してる人たちの話してることなのでどーでもいい中身ないくだらない雑談だったとしてもそれはそれでいい。この前とかただひたすらお菓子食ってる様子の生中継でしたけども、いい、全然いい。たまたま起きてて、たまたま気付いて、たまたま聞けた。その内容は、そのたまたまをゲットした人しか知らない…そんなインシデントかつプレミアムな体験をさせてくれるツイキャスすごい。ありがとう。わたしニコ生あんまりちゃんと通ってない人だから、ひょっとしたらニコ生でも同じようなことできてたのかもしれないけどよく分かってないから、わたしの中ではツイキャス革命児だわ。ツイキャスすごい。まじありがとう。そして、コミュ障なのに懸命にキャスしてくれる推しもまじありがとう。ツアー前なので集客効果を見込んでるのかどうなのかは定かではないが、どんな事情であれ、わたしは素直に嬉しい。これからも飽きずにちょこちょこ続けて欲しいものである!

【映画】「ギフテッド 」感想

f:id:xxxroche:20180113185051j:image

完売で見れなかった翌日、「ギフテッド」リベンジしてきました!

この日も完売で、始まるぎりぎりに入ったら最前列しか空いてなくて首がくっそ疲れた&隣のおねーさまが鼻詰まり気味なのか終始鼻息が荒くシリアスシーンで隣から「…ッフー、…ッフー」ってずっと聞こえてきてちょっと気が散ったという2点の環境要因を除けばとっても良かったです!!笑

 

<あらすじ>

生まれて間もなく母親を亡くした7歳のメアリーは、独身の叔父フランクとフロリダの小さな町でささやかながら幸せな毎日を送っていた。しかし、メアリーに天才的な特別な才能が明らかになることで、静かな日々が揺らぎ始める。メアリーの特別扱いを頑なに拒むフランクのもとに、フランクの母イブリンが現れ、孫のメアリーに英才教育を施すため2人を引き離そうとする。そんな母に抵抗し、養育権をめぐる裁判にのぞんだフランクには、亡き姉から託されたある秘密があった。(映画.comより)

 

まあ、オーソドックスなヒューマンドラマって感じのストーリーなんですけど。

泣いた。めっちゃ泣いた。隣のおねーさまの鼻息音以上に泣いたから、わたし隣のおねーさまに文句言えない。ごめんなさい。

マーク・ウェブ監督は「(500日)のサマー」のみ見たことありますが、台詞ではなく表情で感情の機微を描くのが上手な方だなあというのがその時の印象で、今回もそれは感じました。

オーソドックスでありきたりなストーリーをこれだけの感動作品に昇華させたのは、彼の「肝心な一言は喋らせずにおく」独特の抜け感と、各キャラクターの設定の賜物だと思う(後述)。

あとマッケンナ・グレイス演じるメアリーがめっっっちゃかわいい。子どもらしくない物言いと、子どもらしい表情や仕草が共存していて非常に魅力的。お気に入りのシーンは大人の情事を察してしまった後に「気まずいよね〜」ってすっとぼけて言い放つシーンです。

 

以下、ネタバレ含みます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

これ、個人的には、実の親子じゃないところが脚本のミソだったと思う。叔父と姪という、血縁だけれど本当の「親子」ではない2人に、友人(隣人)のロバータが加わって、疑似家族的なコミニュティを形成していて、それこそがメアリーの理解者であり心地の良い居場所であると描き切ったことで、「家族とは何か」「愛するとは何か」というヒューマンドラマの純度が高まっていた。実の親子だったら、きっとこの感動はなかった!単純な血縁や社会規範(こうあるべき)に拠らない「家族」「居場所」の表現は、個人主義が際立ってきた現代において実にしっくりくるものだったように感じる。

 

メアリーに対して「普通の生活をしてほしい」と望むフランクと、「天賦の才を活かしてほしい」と望むイブリンの二項対立で話が進んでいくけど、流れ的にイブリンは悪者になってしまうけど、わたしからみると実は2人ともそんなに変わらないというか、それぞれのエゴを別の形でメアリーに押し付けているだけなんだよなー。

天命(そうしなければならない)論としてのA:フランク→「姉の"普通に生きてほしい"という遺言」、B:イブリン→「天賦の才を持つものは人類のために活躍しなければならないという正義」

自分のエゴとしてのA:フランク→「ただ面白くて、側にいて欲しかった」、B:イブリン→「自分も娘も成し得なかった、数学者として名を挙げることを実現して欲しかった」

なんだよね。これ面白いなーと思ったのが、もしイブリンが自分は数学者じゃなくて、娘も数学者じゃなくて、純粋に「才能は活かすべきだ」ということのみを説いてくるキャラクターだったら、フランクってめっちゃ懐狭い人物にみえてた気がする。今回、この映画がヒューマンドラマで愛を描いた作品として仕上がってるのはひとえに「才能を(メアリーのためではなく自分のために)利用しようとする」イブリンが居たからだ。居なかったら「天賦の才を持つものはどう生きるべきか」って哲学の話にきっとなってた。端的に言うと、完璧に二項対立にさせてた脚本とキャラ設定が素晴らしい、ということ!

 

結局2人ともメアリーがどうしたいかなんて分かってないし、フランクのいうように自分の決断に自信は「ない」不安な状態なのだ。ただ、2人がぶつかってくれたおかげで、メアリーは「天才の生き方」と「普通の生き方」をどちらも垣間見ることができた。

その上で、どう生きるかを選んだのはメアリーで、今後どうしていくのかを決めるのもメアリーだ。

最後、フランクの元に住みながら大学(?)に通いながらガールスカウトに参加するメアリーの姿が描かれていたけど、あれは今の段階でのメアリーの「やりたいこと、すべきこと」が詰まった生活で、大人2人の思惑なんて入ってるようで入ってない。結局大人は、子どもに意見や意思を伝えることはできても、何が正しいか心地よいか選ぶのは子ども自身であって、そういう意味でこの映画で描かれてた「愛」とは「見守ること」だったように思う。

 

個人的にはイブリンがどーにも憎めなくて、なぜならわたしの母に通ずるところがある…笑。40近いおっさんの息子に日焼け止め塗れとか細々と命令してたりとか、権威主義的で差別的なところとか、なんかもうひとごととは思えなくて…そんなイブリンが娘の遺言で「(論文を)死んだ後に公開してほしい」なんて言われてて、ウワ〜〜〜〜残酷〜〜〜〜でも自業自得〜〜〜〜!って複雑な心境だった。わたしも親にやりかねない。でも、そこに同情とか要らんな、と悟りを開いたりなどした。

 

映像がとにかく綺麗で、特にビーチでフランクとメアリーが戯れるシーン、逆光でシルエットにすることで「愛」を具現化しているように見えてめっちゃ良かった。

総評、良い映画でした!

【映画】「勝手にふるえてろ」感想 ※追記しました

f:id:xxxroche:20180108143234j:image

 

気になってた「ギフテッド」がそろそろ公開終了だから見に行ったらまさかの全席完売で(ぎりぎり行動タイプだからたまにやるやーつ)、かなりのショックを受け悲しみの果てに唐突に「勝手にふるえてろ」見に行ったのですが、非常に良かったです!!!2018年1発目これで良かった!!!

 

<あらすじ>

芥川賞作家・綿矢りさによる同名小説の映画化で、恋愛経験のない主人公のOLが2つの恋に悩み暴走する様を、松岡茉優の映画初主演で描くコメディ。OLのヨシカは同期の「ニ」からの突然の告白に「人生で初めて告られた!」とテンションがあがるが、「ニ」との関係にいまいち乗り切れず、中学時代から同級生の「イチ」への思いもいまだに引きずり続けていた。一方的な脳内の片思いとリアルな恋愛の同時進行に、恋愛ド素人のヨシカは「私には彼氏が2人いる」と彼女なりに頭を悩ませていた。そんな中で「一目でいいから、今のイチに会って前のめりに死んでいこう」という奇妙な動機から、ありえない嘘をついて同窓会を計画。やがてヨシカとイチの再会の日が訪れるが……。(映画.comより)

 

原作未読なのですが、本映画については、異様な疾走感でこじらせ系女主人公・ヨシカのメンタルゲロ脚本をうまく表現されておりました。

松岡茉優さんの圧倒的演技力とモブキャラの濃さと快活な編集テンポのマリアージュだったぞ…良かったぞ……

 

以外、ネタバレ含みます。

 

 

 

 

 

 

 

個人的にあんまり恋愛映画好きじゃないのでどうなることかと思って見始めたのですが、どっちかっていうと恋愛はストーリー上のツールであり、ヨシカが妄想世界→現実世界へ孵化していく人間成長物語に思えた。ヨシカは恋愛下手で誰とも付き合ったことなくて処女なのをすごく気にしていて、それを棄てる=ラストでニを受け入れる=赤い付箋が濡れ染まる、ことで一歩成長する。今までの妄想世界に生きる自分に吐き捨てたのが、「勝手にふるえてろ」の一言で、そこで過去の自分と決別して、現実に生きる覚悟をしたのだ、と受け取った。

 

結構オーソドックスな「自分がずっと好きな人と自分を好きだって言ってくれるぽっと出の人のどっちにいくの?いかないの?」って感じの流れで話が進むのですが、そんな流れをつい忘れてしまうくらいヨシカのメンタルゲロっぷりが全体的にすごい。

ヨシカ、もう見てられないくらいのこじらせ系女子で、初恋の人に対しての妄想10年単位で極めちゃってるせいで閉じた内側の世界(妄想)ではこれでもかというくらい饒舌かつ陽気なのに、外側の世界(現実)では内気でコミュ障で全然自己開示できなくて世界を斜め上から見てますワタシ的にアイロニカルな文句や態度垂れ流してて、生き下手なのって愛しい♡わたしに似てる♡とか絶滅した動物に捻じ曲がった自己投影しまくってアンモナイトの化石とか買っちゃってて、なんかもうその様がオタクでばんぎゃるでスクールカーストにも馴染めず生きてきたわたしの古傷をガンガン抉ってきてもーーーーーヨシカーーーーーめっちゃ気持ち分かるけどだめだよだめだってわかってるでしょずっとそこに居たい訳じゃないでしょヨシカーーーーーって自らを抱き締めながら観ていた。つらかった。なので、どっちかというと日常的に生きづらさ感じてるこじらせ系の自覚がある人が見た方がガツンとくると思う。

 

途中まで、ヨシカの妄想と現実がごっちゃになっているせいで、はじめはただの心のシャッター厚めな内弁慶な子なのかなと思ってたのに、それどころじゃなくだいぶヤバイ子だってことがイチに自分が自分として認識されてないと自覚した後(「名前、なんだっけ」事件の後)から発覚して観ていて素直に驚いたし、そこからの世界の均衡の崩れっぷり、濃厚にヨシカと絡んでくれてたモブキャラの皆様が無表情になる怖さ、あのよくわからないアンモナイトの歌と相まって秀逸だった。この10年間どれだけヨシカが、イチに対する妄想を繰り広げることでギリギリ自我を保っていたのか。本能(=なりたい自分、やりたいこと)のままに生きられない臆病で情けない自分を、理性(=妄想)で抑え込んでるという設定で正当化して見て見ぬ振りをしてきたのか。帰宅して、玄関で蹲って泣くヨシカのシーン、アップになる松岡さんの顔が無から哀に徐々に崩れていく様、恐ろしいほどだった。良かった。

ここの演出が良すぎたおかげでその先見てても「これまた妄想なんじゃ…?」ってハラハラさせられたよ…ヨシカも言ってたけどね公園で「これって現実…?」って。その台詞が鑑賞者にも納得感を持って受け入れられるのは、ひとえに前半の妄想世界の演出の自然さ=妄想の二重構造(イチとの妄想をしている自分を発露してそれが自分だと周囲に認めてもらっている妄想)の描き方やテンポが素晴らしかったのだと思う。

 

個人的に同級生のタワマンに遊びに行った時のエピソードが印象的で、ヨシカのこじらせた内面がフルに発揮されてた!自分からイチに雑談を振れるわけでもなく、周囲の女子のように食卓に気を使える訳でもなく、ハッと気付いて皿を洗おうとしたら「空気読めよ」的な蔑みを受け、なんかイチをロックオンしてたやたら積極的な女のようにモーションをかけることもプライドが許さず、結局、気が狂ったように天然王子の絵を描くしかできない。現実の世界では何もできなくて、妄想の世界に閉じこもるしかできない。そんなふがいない自分に絶望しかけてたらイチが話しかけてくれて、昔のことも覚えててくれて、まさかの話も弾み、おやおや?まさか?妄想が現実とリンクする?………と思いきやの「名前、なんだっけ」事件ですよ!!!!!いや冷静に考えたらまあそりゃショックだけど、ここからリスタートすればええやんって思うんだけど、ヨシカにはそれができないんですよ!!!!!だってまさか名前すら知らない=わたしをわたしと認識してくれてないなんて彼女は予想もしてなくて、その衝撃ったら10年以上彼女を支えてくれてたあたたかな希望を一撃で打ち砕くもので、妄想世界から強制ログアウトさせるコマンドみたいなもので、もうそりゃあ辛いし悲しいし何より恥ずかしいし認めたくないよね!!!!!でもついに認めなきゃいけなくなったんだよね!!!!!わかるよ!!!!!自分と向き合うのしんどいよね!!!!!!って思って観ながらわたしもめっちゃ泣いてました。個人的にここが本作ピーク。

 

ニは全然かっこよくないしいやなんでお前そこでそれやっちゃうの?ってイライラさせられるシーンまみれだったし全くもって惹かれないけど、本作においてヨシカをヨシカとして認識してくれてるのってニとクルミとオカリナだけだったから、まじで大事にしろよと思いました。中盤、クルミちゃん居て良かったね〜〜〜良い友達持ったね〜〜〜って涙ぐんでたから、最後仲直りフラグ立ててくれてて心が救われた。ヨシカよ、あの子は一生もんの友達だからまじで大事にしろよ(親の目線で)。

 

オカリナ役の片桐はいりの存在感がすごかった。最後、カッパ着てコンビニ店員と並んでるの、めっちゃ怖かった。笑

 

昨年見たスウィート17モンスターに似てるって声も聞きますが、わかります。未熟な自分を認めて受け入れて、一歩成長するっていう点では描いてるテーマ一緒かなと。ただ、アラサー女でそれやるとこうも痛々しくて身を削るような話になっちゃうのね、という…自己承認は歳若いうちにやっとこうね………

 

パワフルで良い映画でした!

ギフテッドリベンジしてきます。

アラサー女子が1ヶ月で顔面にかかる美容費をきちんと算出してみた

「女子はお金がかかる」とよく言うが、誇張でもなんでもなく本当にそうだ。今日、ファンデーションが無くなりかけてたのでカウンターに行き諭吉とお別れしながらつくづく思った。
女子まじ金かかる。
毎日朝起きてちゃんと化粧して、社畜フルマラソン完走して帰宅し疲れ果てた心身を奮い立たせて化粧落として湯を溜めて風呂入って、ハーサッパリシタと思う間も無く基礎化粧品をフェイスに叩き込み、冬だけじゃなく年中乾燥するようになってしまったボディに色んなものを塗りたくり、ヘアオイルつけて社畜女子御用達ナ◯ケアで髪を乾かし、毎月の血祭り期間用製品だってちりつもで馬鹿にならないし、まつエクもネイルも毎月行ってるし、なんだかんだ手間もそうだし美容にかかる消耗品のランニングコストって相当だ。つらい。
定期的に諭吉とお別れしながら「これ買わなかったら遠征先で美味しいものでも食べれたのにな」とか思うこともある。昔から化粧も化粧品も好きで一時期は美的とか購読しちゃってる系女子だったが、そもそもアトピー持ちで肌があんまり強くないのもあってベース系はチャレンジしづらく、基礎化粧品やベースメイクアイテムは単なる消耗品扱いなのだ。ほぼ毎日コンスタントに使うし。ポイントメイクアイテムはある程度遊べるし、新色出ればテンションあがるし、それ自体を「欲しい!」ってなるし、いくつも持ってたいって思うんだけどねー!

基礎化粧品とベースメイクアイテムについて、わたしのように特にそれらで冒険をしない以上、固定費として家計簿上で考えるべきと常々思っていたのだが、なにせアイテムによって無くなる周期にばらつきがあるので読みづらくて、今までついなあなあにしてきた。無くなったら買う、の繰り返しで、全体像が把握できないよくないあるある。なので、この度、重い腰をあげて、個人的顔面固定費(基礎化粧品〜ベースメイク)をきちんと算出してみることにした。
※ポイントメイクアイテムは、複数を使い分けることが多く消費周期が全然把握できないので、今回の顔面固定費からは除外しています。

 

これ自分でまとめながら思ったけど、世間の女子のみなさまの顔面固定費も是非知りたい!ベースメイクアイテムを季節に合わせて変える美意識高い女子とかもいるだろうけど、そんなに頻繁に無くなるものじゃないからやっぱりある程度は固定費感あるよな〜みなさまどのくらいなんだろ〜

 

  • クレンジング

まつエクをしているのでオイルは使えないため、DUO ザ クレンジングバームをここ数年愛用。洗浄力が高く、ダブルウェア様(後述)もちゃんと落としてくれる上、W洗顔不要、かつどんな肌状態のときに使っても荒れない。とにかく荒れないのが大正義。
大体2ヶ月持つので3,888円÷2=1,944円

 

DUO ザ クレンジングバーム

DUO ザ クレンジングバーム

 

 

  • 基礎化粧品

松山油脂をラインで使っている。アトピー持ちかつアルコールにあまり耐性がないので、高機能なものは常用できなくて、巡り巡ってここに落ち着いた。これもここ数年変えてない。シンプルイズベスト。以前調子にのってSK-Ⅱに手を出してみたことがあるが、はじめのうちは劇的に良かったものの一週間後に全顔面から発疹がでたのが今でもトラウマ…いやでもあれは素晴らしい製品だったよ…荒れるまではみるからに肌の様子違ったもの…細胞元気な感じしたもの…使える人が羨ましい……
この肌をうるおすシリーズは詰替用があり経済的だが、素人のやる煮沸消毒では衛生面が若干気がかりなので、2回詰替(3ターン)したら新しい容器のものを買うようにしている。
大体2ヶ月で詰替もしくは買換なので
(化粧水1,404円+美容液1,944円+乳液1,404円+クリーム1,728円)÷2=3,240円
※面倒なんで容器付の値段で計算。

 

肌をうるおす保湿浸透水

肌をうるおす保湿浸透水

 

 

肌をうるおす保湿美容液

肌をうるおす保湿美容液

 

 

肌をうるおす保湿乳液

肌をうるおす保湿乳液

 

 

肌をうるおす保湿クリーム

肌をうるおす保湿クリーム

 

 

  • 化粧下地

以前は下地を省略していたが、ダブルウェア様(後述)の圧倒的カバー力を前に肌へのダメージが恐ろしくなったため、使うように。これと、皮膚科で身体用に処方されてるヒルドイドソフト軟膏を2:1くらいで混ぜてる。
4ヶ月弱持つ感じなので、734円÷4=183.5円

 

 

  • ファンデーション

もうわたしはエスティローダーダブルウェア様しか使えない顔になってしまっています(崇拝)!社畜なので化粧してる時間が長いのだが、夜になってもあんまり崩れない。毛穴も跡もまじで無かったことにしてくれる。驚異のモチとカバー力。若干こってりした仕上がりなので、流行りのうるつや肌にはならないが、肌リセット力が半端ないのでとにかく絶大な信頼を寄せている。あと、こんなにがっつり系なのに、何故か奇跡的に荒れなかった。

わたしは必ずカウンターで色を見直してもらって、専用スポンジも一緒に買うようにしている。これがだいたい半年周期。高いけど減りも遅いので、まあしょうがないという感じ。
(本体6,480円+専用スポンジ1,200円)÷6=1,280円

 

 

  •  コンシーラー

どちらかというとハイライト用だけれども。ファンデーションと同じ周期で買う。目の下と顎の下に塗ってる。あと、化粧直しは基本これとパウダーでなんとかする。目の下が明るくなると元気にみえる不思議。
4,536円÷6=756円

 

 

  • フェースパウダー

社会人になって以降、カネボウミラノコレクションをずっと愛用。基本的に持ち歩くので、薄型コンパクトタイプのものが出る年に2個まとめて買ってストックしておいて、1年で1個使い切るくらいのペース。ミラノコレクション、薄型と厚型が隔年でリリースされるのだが、厚型はターゲット英単語帳くらいの高さがあり、あれは自宅でしか化粧をしない優雅な民族向けの代物なのだと思ってる。出張と遠征で月の1/3は自宅にいないわたしには無用のものである。

これは色パターンがないので、割引のあるドラッグストアで購入する。1万超えアイテムの2割引はおおきい…
12,960円×0.8(ドラッグストア2割引)÷12=864円

 

 

以上、全て足し合わせると1ヶ月あたり顔面固定費は8,267.5円、1年で99,210円かかってるという結果になりました!

じゅうまんえんて。

 

これにポイントメイクアイテムもかかるでしょ…?

あとヘアやボディ関連もあるでしょ…?

更に美容院やらネイルサロンやらまつエクの費用も乗るでしょ…?

いったい年間の「美容費合計支出額」ってどれだけ膨れ上がるんだ…。

 

今回は顔面固定費のみやってみましたが、ヘア関連やボディ関連も一部算出可能そうなので、後日やってみて、全て足し算して白目を剥きたいなと思います。以上。

実家しんどい〜帰省にて思い知った呪いの数々〜

昔からわたしは、ノートの1ページ目で字を間違えるとそのノート使う気が失せる系の人間で、いざブログとか始めるとなると「キリのいい日付から始めなきゃ」とか「最低◯日に1回は書かなきゃ」とか「設定したテーマに沿って書き連ねなきゃ」とか自ら勝手に縛りゲー化してしまいなかなか始められないし始めても続きづらいのだが、2018年の目標のひとつが「アウトプットする」なのでもう縛りゲーせずにとにかく思い付いた時でいいので何でもいいから何かしら書き留める。ことにする。

 

  • 実家まじしんどい

新年が始まって3日目だが、年末あたりから「実家に帰りたくない」やら「実家しんどい」やらの発言の数々をTwitterでも各種ブログでも散見する。わたしも実家しんどい勢のひとりだ。1日の夕方に帰省し、今日の昼過ぎには出て行く予定で、2日の午後は友人と会っていたので実質2泊して36時間くらいしか実家には滞在していないのだが、しんどい。具体的にいうと、表情筋が麻痺して半笑いで貼り付いてしまう程度にはしんどい。あと、めちゃめちゃ怒りの沸点が低くなる。メンタル追い詰まってる証拠だと思われる。

 

もうほんとあるあるだが、親族が集まる会食の場の準備に駆り出す際の掛け声が「娘たち!」である。従兄弟たちは放免。別にやること自体はやぶさかではないのだ。みんなの食卓なのだから、手が空いているもので協力したらいいのだと思う。この時はわたしの母が場を仕切っていたので、実の娘の方が気兼ねなく使いやすいというのもあるだろうが、百歩譲ってその場合、名前で指名をしていただきたい。女性だから食事の準備をする、男性はしなくていいという典型的なジェンダー問題あるあるが、この掛け声一言に詰まっている。気がする。わたしはもともと男だから、女だから、という括りがあまり好きではないタイプの人間で、母もそれは知っているはずなので「別にふつーに手伝うけど、その声のかけ方は好きじゃないです」と伝えたところ、返答は「今までは好きにさせてきたけど、そろそろ躾直さなきゃいけないと思ってね!そんな考えじゃお嫁に行ったとき困るからね!」であった。笑った。

解せぬ。準備するという行為そのものはするのだ。他にも人手が足りなさそうだったら状況見て率先してやるのだ。別にそれは、男女関係ない。動けるやつが動けばいいと思う。行動してやっている結果自体は同じなのに、なぜそこに「娘(女)だから」という冠詞をつけて、それが行動原理であるとされなくてはいけないのか。また、その冠詞のため、従兄弟は放免されて当然とされるべきなのか。

 

  • しんどい理由ふたつめ:押し付けられる権威主義

これは親族あんまり関係なくて、具体的にはわたしの母がトーク中に驚異のマウンティングを実施する。「みんな知らないと思うけど、最近は〇〇で」「わたしの娘は会社で〇〇で評価されて」「友人の子どもが〇〇卒で〇〇に勤めてて」など、ありとあらゆるネタで自身の権威を振りかざす。また、親戚に対しては「稼いでるんだから自由に(お金を)使っちゃえばいいじゃん」やら「いいとこ住んでるんだから」やら「〇〇に入ったから安心だよね」やら褒め言葉を装って権威主義を押し付ける。妬みとはちょっと違うんだよな、こんなにすごい親戚の親戚であるワタシスゴイ的なセリフに聞こえる。文字にするとニュアンスが伝わりづらいので悲しいが、声の大きさや、トーンで、過剰なアピールが垣間見えるのがとにかくつらい。

単なる近況報告ならいいのだ。そこに「こんなにすごい」とか「有名な〇〇」とかいちいち付ける必要あまりない。へーそうなんだね、ふーん、で済めばいいし、聞く側の捉え方として「それはすごいね!」って感想を述べる分にはいいけど、発する側がわざわざセリフのひとつひとつにそれらを付けるのは個人的にはみっともないと感じる。

その日集まってたのは母方の親族で、みなさま比較的フラットな方々なので、何を言われても「いや、まあ」やら「そんなことないよ」等の日本人らしい謙虚な返しをされておりましたが、ひょっとしたらあんまり気にしていないのかもしれないのでそれならそれでいいのですが、娘の側としては、単純に実の親がそんな話し方をするのは見ていて恥ずかしいし、もしかしてこういう(権威主義的な)話し方を色んなところでしているかと想像をしてしまい何とも言えない気持ちになる。だって、嫌だと思う人、絶対ある一定数いるもの。

ちなみに、わたしの従兄弟姉妹のひとりである父方の長男は、ある時期から親族の集まりに一切来なくなった。葬式すら出席しないことがある。彼は、父方の親族の中ではやや学力が劣っていて、高校入学時に親族間の平均値より3ランクくらい下の高校に入り、美容学校に進学し美容師になり、今は結婚もして一家の柱として頑張っている(父方、母方ひっくるめて唯一の既婚者)。わたしから見ると、日々かなりの激務をこなし、離職の多い美容業界の中でも忙しい店舗で真面目に勤め続け、きちんと家庭も持っていてすごいなあと思う彼なのだが、わたしの母は「うちの娘は〇〇高校だから(〇〇大学だから)」「(長男の妹の)〇〇ちゃんは〇〇高校だから(〇〇大学だから)」「美容師なんて安月給でどうするの」など、会食の際、大きな声でよく話していた。これが理由じゃないかもしれないが、なんとなく、集まるのが嫌になる一因でもあったように思えてならない。

 

  • しんどい理由みっつめ:ムラ独特のご近所さん事情

わたしの実家はまあまあ田舎で、町内が3つのエリアに分割されており、各エリアの中の過半数は同じ苗字の親族が固まるという典型的な「ムラ」要素の強い地域だ。小学校では、同じクラスに同じ苗字がめちゃめちゃいるので、基本的にみんな下の名前で呼び合ってた(だから、中学校に行って、クラス名簿の被り率の低さに吃驚した)。

ムラはみんな繋がっているので、全ての情報が筒抜けだ。どこの学校に行き、どこに勤め、勤め先の評価はどうで、結婚と子どもの有無、相手先のこと、よくそんなにデータベースを溜め込めるものだと関心するほどに皆さんお詳しい。対してわたしは幼少期より全くムラ文化に馴染めず、地元の友だちは殆どいなくて、高校以降の友人関係のみで生きてきているので、そのデータベースに格納されている内容はほぼ知らない。し、知りたいとも思わない。このムラを捨てて生きていくことを早々に決意しているからだ。だというのに、「同級生の〇〇ちゃんが最近あーでこーで」系の話題を繰り広げられる。残念ながら「興味がないです」としか答えられない。なのに、ひたすら繰り広げられる。ついには「同級生の〇〇くんの妹の△△ちゃんの嫁ぎ先が云々」とかまでいくのだが、正直その△△ちゃんとわたしは面識がないし更にはその嫁ぎ先に関しては全くわたしと縁のない件であるので、そこまでくるともはやコメントは「それは他人です」になってくる。それでも、とめどなく繰り広げられる。つらい。

だからわたしはわたしの近況は、最低限しか親に話さない。全部吹聴されるからだ。わたしの知らないところで、わたしの知らない人に、わたしの話題で茶や酒を飲まれるのは御免である。

 

  • 「思い出す」帰省はしんどい

実家を離れ、一人暮らしをし、比較的都会かつ業界的にもポリコレ意識の強い人が多めの会社で日々働いているので、普段感じることの少ない数々の呪いを、こうやって実家に帰ってくるとありありと思い知る。わたしがいま、それを感じにくい場所にいるだけで、やっぱり根深く問題は蠢いているのだと。そうやって絶望するのが年始の恒例であり、だからわたしは実家に帰るのまじしんどい。以上。